小説31

 ぼくは店に入るとまずビールを注文し、ふたつのグラスにそれを注いでひとつを彼女の目の前に置いた。
「飲めないわけじゃないよね?」ぼくが訊くと、
「どうして?」と彼女は応えた。
「それじゃあ、やっぱり飲めないの?」
「ううん。少しだけなら。」
ぼくたちは軽く乾杯をして、ぼくは一気に、彼女は少しだけビールを飲んだ。
「名前、ミキって言うんだ。」ぼくはラーメンを食べながらそう訊いた。
「さっき店で言いませんでした?」
「苗字はわかったんだけど、シマムラって。でも、名前までは聞き取れなかった。どんな字?」なんか、いつもこんな事訊いてるな、と思いながらぼくは言った。
「八方美人の美に、貴重品の貴で美貴。」
「ハッポウビジンのビって、美しいの美?」
「はい。」
「何でそんなややこしい言い方するの?美しいって言った方が早いでしょ。」
「なんか嫌じゃないですか、自分の名前教えるのに美しいなんて。」
「そうかな。八方美人なんて言う方が変だと思うけど。」
「嫌なんです。」彼女はそう言って少しだけ頬を膨らませた。「矢口さんは?」
「オレ?ああ、名前ね。」これもどっかで言ったなと思い、何となく気が引けながら答えた。「慧太郎。彗星の彗の下に心と書いて慧、太郎と花子の太郎で慧太郎。」
「ふうん、珍しい字ですね。慧って。じゃあ、シマムラはどう書くと思います?」
「山鳥の嶋に、普通の村。」
「当たりっ。」そう言って、また少しだけ笑った。なんだかこの内気な(たぶん)女の子に、ぼくは少しずつ好感を持ち始めていた。
「ねえ、もう少し飲めるなら、ちょっとだけ、もう一軒行かない?近くに古いけど渋いバーがあるんだ。もし良ければだけど。」
彼女は少し考えているように見えた。
「あ、明日早いって言ってたっけ。」
ぼくがそう言うと、彼女はこちらを向いて微笑んだ。
「あれ、うそ。」
ぼくたちはラーメン屋を出て、ふたり並んで店へと向かった。
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by ktaro1414 | 2006-12-21 12:07 | STORY